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ゆとり世代について 第2話 [雑感]



(前回からの続き)


ゲストでスタジオに来ていた、ゆとり世代の主張、
「自分の好きなように働いていきたい」という部分について。

単純に、「どうやって?」と聞きたくなる。

「会社に勤めない=自分で食べていけるだけの力を持つ」ということがわかっているのかな、と疑問に思う。



これについては、たけしがビシッとこう答えた。

「それは間違いだね。自分の好きなように仕事なんかできない。仕事というのは社会が結びついて仕事というものを編み出すものだ・・・」



これにはちょっとびっくりした。

たけしはいつも、ほかの人が議論している最中は
じっと聞いていてあまりしゃべらない。

そして、番組の最後でようやく、高い観点からのたけし独特の意見を言い、白熱した議論をまとめあげる、というスタイルだからだ。

たけしのこういう才能をテレビで見ていると、「この人、ホント天才だなぁ!」といつも思う。




さて、日常の中でゆとり世代を考えると、番組の中でも言っていたが、

「仕事に就いてもすぐ辞める」という特徴は、やはりあると思う。




特にここ5~6年、特に顕著なように感じる。

辞める理由としていちばん多いのは、「思っていた仕事と違う」というものだ。



例えば、小売業の場合。

お客さんの立場からから見える仕事は、
「扱っている商品を売っている」という面しか見えない。

でも、実はお客さんから見えない仕事の内容のほうが多い。

仕入れ、検品、伝票処理、品出し、商品について勉強、下の人の教育・・・
などなど挙げればきりがない。

そして、どれも地味な作業だ。




物事はなんでもそうだと思うが、第3者の視点で見える部分と、本質は違うものだ。

そして、自分でそれを始めてみないと、本質はわからない。

仕事でいえば、始める前に自分で描いたイメージと本質が違うのは当たり前・・・
というか、仕事なんて実際始めてみないと、自分の就いた仕事がどんなものかなんてわからないんじゃないかと思うのだが・・・


新入社員に仕事を教える側からすれば、「思っていた仕事と違う」という理由で次々辞めてしまわれると、教える気力もだんだんなくなってしまう。

もちろん、ゆとり世代が全員そうだとは言わないが、確率でいえばかなり高い。





さて、会社に拘束されずに自分の好きなように働きたい世代、5年後10年後はどうなっているのだろうか。

私には想像がつかない。

ゆとり世代について 第1話 [雑感]

先日、「たけしのTVタックル」でゆとり世代について議論しているのを観た。


1987年~2004年生まれがゆとり教育世代。

今、10歳~27歳あたりがその世代にあたる。

この年代の若者10人くらいが、ゲストで登場していた。



彼らの主張は・・・

「自分がゆとり教育を選んだわけではなく、知らないうちにそういう教育を受けさせられていた。
それなのに、『これだから、ゆとり世代はまったく・・・』と言われるのは納得いかない。」

これは、その通りだと思う。

私だって、ゆとり世代に生まれていたら、きっとそう思うに違いない。

でも、いつの時代も「これだから今の若いもんは・・・」と上の世代から言われるもので、
その「若いもん」が「ゆとり世代」に言葉が変わっただけだとも思う。

そういうものだから仕方がない、とは言わないが、特殊な事ではない。




また、ゆとり世代の「仕事」というもののとらえ方について。

「小さいときから、夢を持つように育てられた。
会社に拘束されて働くのではなく、自分の好きなように働いていきたい。」



これに関しては、複雑な、いろいろな思いが浮かんだ。

まず「会社に拘束されたくない」という部分。

これは、今、私自身が強くそう思っている。

約20年間会社勤めをしてきた中で、社会について、人との付き合い方について、
その他さまざまなことを学んだし、そうとうな忍耐力もついた。



だが、引き換えに犠牲にしたものも大きい。

体力のある若い時の時間。そして健康。

はっきり言って、日本人は長時間働きすぎ、休みが少なすぎだと思う。

例えば、朝7時に家を出て帰宅は夜10時、11時なんて人は、ざらにいる。

でも、毎朝疲れ切った心身に鞭打って、自分の時間や家族との時間を犠牲にして働くことが普通、あるいは美徳、とする昔からの風潮には、正直嫌気がさしている・・・




私は、大事なカナダの友人の結婚式に出るために、仕事を辞めたことがある。

カナダまでの往復の時間、結婚式当日、前後1日ずつ、かなりキツキツのスケジュールを組んでも、最低5日間は休みが必要だった。

その時の仕事で、平常営業の中、5日も休みを取るのは不可能だった。

私にとって、その友人の結婚式に行かないなんていう選択肢はなかった。

そんなことをしたら、一生後悔すると思った。

やむを得ず退職して、結婚式に出席した。




話を元に戻して・・・

そういうわけで、私はすべてを犠牲にしてまでの会社勤めにはこういう思いがあるから、
ゆとり世代の言い分もよくわかる。

また、夢を持つのは生きていく原動力になる。

おおいに結構だと思う。



ただ、彼らの主張にすべて賛成かというと、そういうわけでもない。


長くなったので、続きは次回に・・・

犬の散歩 [雑感]


犬の散歩はいいものだ。

もちろん、犬の運動にもなるし、
うちの犬は小型犬なので自分の運動・・・とまでは言えないが、気分転換にはなる。

それからもうひとつの楽しみは、ほかのお散歩をしている犬や飼い主さんと交流ができること。



うちの犬は人嫌いなので(というか、人が怖くて仕方がない)
犬が逃げ出してしまうと話せないのだが、
おとなしくしていられれば、なるべく交流するようにしている。


私は動物が大好きで、もちろん犬も例外ではなく、
どちらかと言えばかなり好きなほうだと思う。

だからほかの犬を見たり、触ったりできるのはとても好きな時間なのだ。



今日は、ペキニーズらしき犬と飼い主のおじさんに出会った。

うちの犬がめずらしく自分から近寄って行ったので、
「よしっ!」と思っておじさんに話しかけた。

ペキニーズが私に興味を持ってくれたので、しゃがみこんで犬を観察した。

おじさんもしゃがんで、そのまま10分ほど話していた。

話好きな、人の良さそうなおじさんだ。



犬は今6歳の女の子で、名前はチェリーちゃん。
4歳の時に保護施設から引き取ったのだそうだ。

4歳になるまでどうやって過ごしていたのか、詳しくは聞かなかったが、
「このおじさんに引き取られて、本当に良かったね!」
と心の中で犬に話しかけた。





日本は犬猫の殺処分が多く、社会問題になっている。

子犬の時はよかったが、大きくなったら飼いきれない、とか
庭で飼っている犬が子供を産んだから、とか
ペットショップで売れ残ってしまったから、とか

人間の都合で行き場を失った動物たちが、簡単に殺処分されてしまう。



そんな中でも、動物を積極的に引き取る心優しい人もいるのだ。

こういう交流が持てるのは、犬の散歩中ならではのことで、
人間だけが散歩していてすれ違ったとしても、まず話しかけることはない。



もっと話を聞きたかったが、先におじさんが立ち上がって
「それじゃ、どうも!」と言って行ってしまったので、
私は後ろ髪をひかれる思いで帰ってきた。

また逢えたらいいなぁ。

食べられる幸せ [雑感]


3日前、右上の奥歯の神経を取った。



詳しいことは全然わからないのだが、前々回、歯医者に行ったとき
「次回は、歯茎を切って縫います。」と予告されていた。



子供のころはよく虫歯になり、近くの歯医者に通っていたが、
今頃になって、その治療したかぶせものが突然取れたりするのだ。

今回、歯医者に行き始めたのもそれがきっかけだった。

私はてっきり、取れたかぶせものをまたかぶせれば終わると思っていたのだが、
どうも中が虫歯になっていたようだ。




なかなかやっかいな状態らしく、先生が四苦八苦していた。

先生の腕が悪いのではない。

今まで結構いろいろな歯医者に行ったかことがあるけれど、
今の先生はかなり治療は上手だし、信頼もしている。




先生が言うには、痛いはずのない部分でひどく痛がったり
「痛いのはここか?」と目星をつけて触ってみても痛がらなかったり・・・

こちらとしては、治療中、いつ激痛が来るかわからないので、
たまったものじゃない。




試行錯誤の治療で、10回以上通った。

結局、神経の管や天井(よくわからないが、先生が天井と言った)に
あちこち穴が開いているのではないか、
だから変なところで痛むのではないか、とのことだった。



まぁ、私にはわからないのだが、
とにかく治療のたびに激痛に耐えなければならないので、
なんとか早く治療を終えてほしいと思っていた。




そして、神経を取った当日。

歯茎を切って縫うと言われていたので、やはり緊張していた。

でも、抜歯じゃなくてよかった。




私は抜歯が異常に怖い。

一度、親知らずを抜いたことがあるのだが、死ぬほど怖かった。

そして、「抜けましたよ」という言葉を聞いた瞬間、
全身の力が抜けて思わず泣いてしまった。

腰が抜けるというのはこういうことなのか、と思った。

歯を抜くのが嫌だ!という一心で、いつもしっかり歯は磨いている。





さて、治療が終わって鏡で口の中を見たら、
表側と裏側の歯茎を黒い糸で縫いつけてあった。

舌で触ると引っ掛かりがあって変な感じだ。

見た目もグロテスク・・・




当然、痛みもある。

何もしてなくてもズキズキするが、何かを食べる時が結構痛い。

治療した歯の側とは反対側で噛むのだが、
上の歯と舌の歯がぶつかるときに痛みが走る。



だから食べるのがツライ。

でもおなかはすく。

食べるのが大好きな私にとって、食べるのが苦痛というのはそれこそ苦痛だ。

治療から今日で3日目。

抜糸まであと3日。




食べずにおいしい思いをして、おなかがいっぱいになる方法はないだろうか・・・?

あるわけないよなぁ・・・





常々、健康がいちばん!とは思っているのだが、
おいしくごはんを食べられることがどんなに幸せな事なのかを
今、身に染みて感じている。

おばさんの存在価値 [雑感]


きゅうりが旬の季節になってきた。


なんでもそうだが、きゅうりも旬じゃないときはけっこう高いので、なかなか買えない。

ようやくきゅうりも買える値段になってきた。





スーパーできゅうりを選ぶとき、いつも思い出すことがある。

あれは大学に入学して一人暮らしを始めた頃・・・



夕飯の買い物をするために、学校帰りにスーパーに立ち寄った。

たいして料理も作れなかったので(今でも苦手だが・・・)

サラダは定番のメニューだった。



きゅうりを買おうと、適当に2本くらいカゴに入れようとしたその瞬間・・・

「そんなの選んじゃダメよ!!!」

後ろからいきなりどなられた。

ギョッとして振り返ると、おばさんがいる。


「きゅうりはこうやってとげがあるのじゃないと!」

と言いながら、自分で何本か選んで行ってしまった。


私はあっけにとられ、少しの間おばさんの後姿を見送っていた。

それから素直に、とげがしっかりあるものを選んで買って帰った。

後から、きゅうりは新鮮なものほどとげがあることを知った。




実は、ネギバージョンもある。

同じスーパーで、長ネギを買おうと思って適当に一本手に取った。すると


「あーだめだめ!!そんなの選んじゃ! ちゃんとここ見なくちゃ!」

と、後ろからどなり声。とともに、ニョキッと手が伸びてきた。

ギョッとして振り返ると、おばさんがいる。(同じおばさんではない)

ネギの根元を指さして、

「ここがきれいなものじゃないと!」

といいながら、一本選んで行ってしまった。



私は素直に、根元がきれいなものを買って帰った。

時間がたつと、ネギは根元がニョキニョキ伸びて

不揃いになることを後から知った。




当時、十代の私にはちょっと怖い体験だった。

見ず知らずのおばさんに、後ろからいきなり怒鳴られる・・・

だから、今でもよく覚えている。





今では私もいいおばさんだ。

今、スーパーで昔の私のような学生がいたら、

はたして後ろから声をかけられるだろうか・・・?

「あ~あ、まだ新鮮な野菜の選び方も知らないのね・・・」と思いつつ、

声をかける勇気はないだろう。



こんな内気なおばさんでは、

おばさんとしての存在価値」がないかもしれないなぁ・・・


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